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「宇野多美恵先生」
 
 大正6年(1917)4月1日、母(よね)の実家「中」家(大阪府泉南郡熊取町五門)にて、父 信貴英蔵の長女として誕生。
母の実家、中家は後白河法皇の熊野参詣の際の行宮所になっていたほどの名家で、日本でも古い旧家のひとつであったと言われています。
母の母 つまり祖母は立派な女性で、一度も学校にも行かず、師にもつかず
全て独学だったけれど、書をよくし何事にも極めて向上的で
日本最初の国会議員となって東京に暮らす旦那さんのためにいかに尽くしたかを、母から聞いて育ったようです。
 
また、父、信貴英蔵も、格式から言えば中家には劣りますが、
大学卒のエリート中のエリートで
日本の製紙事業創設のために、三菱から欧米に派遣。
与謝野鉄幹夫妻と同じ船に帰国したと言われています。
 
 
宇野先生は
「父母は、子供のしつけに厳しく、微塵も甘えやうぬぼれは許されなかった」と書かれています。
 
「人間の精神の成長期、すなわちミツゴの魂(基本波)の形成期に何が一番大事かということを物理としてはっきり知り得た」とも。
 
どんな嫌なことでも、運命として受けて立ち、その活路を切り開く、その心を
祖母の生き方(波動量)から共振的に感じ取らせてもらい、父母の厳しさによって
鍛えられたと言います。
 
 
宇野先生は3人の天才の師に恵まれたことを最高の喜びとして表されています。
 

昭和10年、第一の師・中沢美代子に師事。

お一人目が中沢美代子さん。
小さな私塾を開いていて、女子の教養として最も大事な料理の技術を教えることを掲げながら、密かに孔子・論語の言葉を教えられていました。その私塾は
「昭和の松下村塾」と呼ばれていたようです。


昭和12年、第二の師・富永半次郎に師事。

たまたま、中沢塾からの帰途、同じ塾の友人から
源氏物語を聞きに行くと聞き、頼んでついて行った先にいた先生が
富永半次郎氏でした。
初めての出会いの時、
和語の「あきらめ」とは明らかに極めることであり、
人は「あきらめ」なければならないという、富永氏の言葉に大きな衝撃を受け
この人が一生の師となることを深く感じたと書かれています。
 
富永氏は釈迦の正覚「ワ゛ヤダムマー・サンカーラー」という言葉を発見し、
釈迦の真正覚を証明した人です。
この「ワ゛ヤダムマー・サンカーラー」という言葉も、
彼女の師の富永半次郎氏のことも、
相似象学会誌に幾度となく登場します。
 


昭和16年、宇野俊郎と結婚。

 

昭和24年1月 楢崎皐月 平十字との出会い。カタカムナ文献を写す。

昭和33〜38年  日本大使館員夫人としてパリ在住。
昭和40年5月 富永半次郎死去
昭和43年3月10日、夫 宇野俊郎死去

昭和44年12月4日 考古物理学連続講演会にて楢崎皐月氏と初めて出会う。

いつものように演壇に立たれた楢崎先生は、
どこからか届く強い波動を感じ、誰が発しているのか、
それを確かめるために会場内を見回した時に
会場の中にいた一人の婦人に目が止まったと記されています。
楢崎先生と宇野先生のエネルギー交流・共振作用が働いたはじまりでした。
 

昭和45年10月『相似象』創刊号
昭和46年4月『相似象』第2号、12月『相似象』第3号
昭和47年7月『相似象』第4号


昭和48年9月12日、中沢美代子死去(102歳)。


       3月『相似象』第5号、
        12月『相似象』第6号


昭和49年7月31日、楢崎皐月死去(75歳)


       7月『相似象』第7号
昭和50年7月『相似象』第8号
昭和54年3月『相似象』第9号(カタカムナ文献80首の公開)

昭和56年7月『<サヌキ・アワ>(性)のサトリについて』第10号別冊

昭和57年7月『相似象』第10号

昭和59年2月『ゲーテのファウストとカタカムナ』特集号
昭和60年5月『感受性について(1)』第11号別冊
昭和61年7月『感受性について(2)』第11号別冊
昭和62年11月『感受性について(3)』第11号別冊
昭和63年12月『感受性について(4)』第11号別冊
平成1年12月『感受性について補遺(1)』第11号別冊
平成2年12月『感受性について補遺(2)』第11号別冊
平成4年2月『感受性について補遺(3)』第11号別冊
平成5年3月『感受性について補遺(4)』第11号別冊
 
第10号から第11号まで 12年の月日が流れます。
この時、
カタカムナの文献の解読を学会誌に掲載し、つまびらかにしたとして、
読者の感受性が高まらないと、伝えたいことが伝わらないと
感受性についての別冊を9冊、出されてからの出版でした。
 
平成6年7月『相似象』第11号
平成7年12月『相似象』第12号
平成8年11月『相似象』第13号(1〜30首)

平成13年2月、『相似象』第14号(31〜41首)
平成15年3月、『相似象』第15号(42〜63首)
平成16年11月、『相似象』第16号(64〜72首)
 

平成18年10月22日、北軽井沢山荘にて死去。